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3年間の但馬の暮らしが終わりました。
3年ぶりの東京、何もかもが自然とかけ離れ、不自然に感じる私たちに変わりました。 この3年間で、物の見方、考え方、生き方そのものまでもが変わった気がします。 但馬の暮らしは私たち家族に大きな宝物を授けてくれました。 これからは、この宝物を大切に胸に抱いて、但馬を第2の故郷とし、 雑踏の、あわただしい東京で暮らしていこうと思います。 但馬への転勤が決まった時は、いったいどうなるのか、本当に不安で、 たまらない気持ちで但馬へ行きました。 但馬から帰った今は、何が不安だったのかわからなくなりました。 但馬生活そのものが本当に自然で、子育てするには抜群の環境で、 人が生きるにふさわしい環境だと思います。 つれづれに書き溜めてきた但馬生活の記録、 一応ここでおしまいになります。 でもこれは我が家の大切な記録です。 宝を手に入れた場所の、大切な記録になります。 子供たちがわかるようになったら読んでもらって、 また、私たち夫婦が年を取った時の楽しみとして、大切にとっておこうと思います。 学校の読み聞かせの会で、送別会をしてくださいました。
保護者で読み聞かせに入っていたのは昨年度まで私一人。 今年度、もう一人入ってこられたが、 昨年度までのメンバーは、もうすでにお子さんが成人されたり、 お孫さんがいる方ばかりの集まりで、うんと年上の方ばかり。 勉強になることしきり。 いつもいつも楽しい会でした。 古い但馬のことを沢山お話しくださったお孫さんのいるおじいさん。 絵本の情報交換の場としていろいろな絵本の話をしたり、 青渓書院など宿南探訪にご一緒してくださった方。 私に会うと元気がもらえるわぁ!といつもいつもおっしゃってくださった方・・・ 本当に良い方ばかりに巡り会え、幸せな読み聞かせの会でした。 みなさんに寄せ書きをしていただいた絵本を頂きました。 ![]() 「森はな」さん。 但馬出身の作家です。 「じろはったん」などが有名です。 「こんこんさまにさしあげそうろう」 雪に降り込められ、おなかをすかした狐の親子。 お母さん狐は食べ物を何とか手に入れようと、人家の鶏を狙いますが、 犬に吠えられます。 雪がひどく、何日も手に入れられません。 かわいい子狐は「おなかがすいたよ、おなかがすいたよぉ。。。」と泣きます。 その時、「こんこんさまにさしあげそうろう~」という声が聞こえてきます。 提灯を持った人たちがぞろぞろと唱えながら、手に手に食べ物を持って歩いてきます。 「のせぎょう」といって、山の獣たちが冬の雪の間、 人家付近に降りてきて悪さをしないように、 小豆飯や油揚げをのせたお皿を山の途中においていきます。 狐のお母さんは、「今夜はのせぎょうだったんだ、ありがたい、ありがたい」 といって手を合わせ、かわいい子狐にその食べ物を運んだ。 というお話です。 これは大寒の日の夜にしていた行事で、ここらあたりでもしていたということです。 山の獣(もの)と人間との棲み分けが、きちんとなされていた時代の話です。 今でもこのあたりの人は、山の動物を「山のもの」と呼びます。 「山のものが出てきて悪さをしてねぇ。。。」ていう具合に。 私たちには雪に降り込められ、寒い思い、 おなかのすいた思いをするであろう動物たちが、手に取るように想像できます。 この話は、我が家にとって「想像」の話でなく、 リアリティをもった話になりました。 子供たちにとっても同じことで、但馬の生活は「生きる」ことへのリアリティがありました。 「こんこんさまにさしあげそうろう」 私の宝物です。 娘は曾祖母の影響で時々俳句を考える。
最近作ったものを記録しておこう! ・星空は 但馬が一番 すばらしい ・天の川 毎日見える すてきだな ・角松は 父のろうどう あかしなり ・お散歩が 気持ちいいなぁ 春だから ・ほたるかご それやそれやと あつまるよ 但馬の思い出を綴ったそうです。 なかなかいい俳句だよ! その調子!!! 三月も半ばだというのに、今朝の登校時、氷点下2度。
まだまだ春遠し。。。といった但馬です。 溶けた雪が氷つき、一面スケートリンクのようなところがあるかと思えば、 氷山のようにガタガタになったところもあり・・・ 氷になった部分を見ると、厚さは2センチはあるんじゃないかな・・・? ![]() ![]() ![]()
東日本大震災が起きて1年。
去年のあの日、両親や友人と電話がつながらず、 とても不安な気持ちで、信じられない光景が次々映し出されるテレビに、 くぎ付けになったことを思い出します。 ひょんなことから東京に居なかった私たち家族。 東京に居たら、地下鉄やバスで通学していた娘はどうなっていたんだろうか? 当然歩いて迎えに行き、歩いて帰ってきたんでしょう。 勤め先が銀座だった夫も同様に、「帰宅難民」になっていたことだと思います。 幸い、東京の我が家は何ともなかったのですが、友人の家は瓦が落ち、 道は至る所でブロックが崩れ、食器がたくさん割れたという話も聞きました。 我が両親も、一日に何度も来る大きな地震に「人間地震計」と笑うほど、 震度いくつかを予測し当てることができるようになりました。 それでも東北に比べれば・・・ 茨城以北は未だ復興と呼べる状態ではないのですから・・・。 復興に向け、国民一丸となっていかなくてはいけないこの時期に、 何となくここ関西以西は、関東以北と違う温度差を感じ、 何ともやるせない気持ちになったものでした。 これで東京に帰る私たち家族。 数年以内にまた大きな地震が来るとか・・・ 防災対策をきっちりし、自分の命は自分で守れるように子供たちを育て、 自分もまた、大都会で生き延びる知恵をを養わなくていけないなぁ、 と感じます。 復興とともに、地球にやさしく、今こそ人間の叡智のすべてを使って、 地球とともに歩む術を考えていかなくてはいけないと思います。 しばらく地震と無縁だったこの地での生活だったので、少し不安です。 土曜日の晩に、夫の仕事仲間が集まって、焼肉パーティーをしました。
むちゃくちゃ忙しい中でのこの日程。 少々目が回りそうでしたが、そこは踏ん張ってお肉のために頑張った!? 何しろ金曜夜は、夫は送別会でお泊り飲み会。 そして土曜日は朝9時、宿へ迎えに行きそのまま「初午祭」の準備に参加。 昼過ぎには夜久野へ「漆塗り」の第4回講座へ。 その間に私は娘をバイオリンに連れて和田山へ戻り、 娘がバイオリンをしている間に、またもや反転、夜久野へ夫を迎えに行き、 そしてまたまた帰り道、娘を拾い、一路家に。 家に戻るなり、今度は娘がスキーチームのお友達の家に泊まりに行くのに、 ハチ高原まで送りに行って・・・ ハチ高原から降りて来たら、もうお客様がいっぱい・・・の状態。 息子は姉が行ってしまったと、さみしいよ~、さみしいよ~と号泣するし、 なんだか頭が変になりそうでした。 シスコンの息子には、姉のいない1日がとてつもなく寂しく感じたのと、 この1年、すっかり大人になった姉に、差がついたような、 自分はまだまだ赤ちゃんじゃないけど子供で、姉がまぶしく見えるのでしょうか・・・ 本当に切なそうにウォンウォン泣いていました。 で、焼肉。 豊岡にある「浜田」という但馬牛のお肉屋さんのお肉が一杯!! 数万円分!! とろけるように美味しかったことは言うまでもありません。 翌日まで家中に充満するお肉の香り、そして床がツルツル!! 実は娘はお肉が大好き。 でも、お肉より、いつも可愛がってくれるパパの同僚より、 今度ばかりは自分のお友達なんですって。 やはりすっかり大人になり、自分の世界ができたようです。 しっかりとお友達の家で楽しんできたようです。 (といっても夜は2時間近く2人でスキー板にワックスを塗り、 翌日の大会に備えたようです。 正しいワックスの塗り方を初めて覚えた!と喜んでいました。 さすが!目指すものがある子供たちは、ただ遊ぶだけじゃないのね、 と、感心することしきりです。) スキー宿をしているお友達の家。 夜はお宿の定番料理の「鉢鍋」(鉢伏鍋)をいただき、初めて「カモ肉」を食べたとか。 美味しかったんですって!! 翌日はお友達と一緒に大会に参加、夕方4時過ぎにスキー場に迎えに行くまで、 すっかり親のことは忘れていたよう。 順位くらいはメールくれましたが、(11人中9位だったと・・・) ランチもカレーもパスタも食べたいから、お友達と半分こして食べたとか、 すっかりガールズで楽しんだようです。 彼女はこちらに来て、ものすごい積極的になったし、 スキーにしろ、オーケストラにしろ、ピアノにしろ、 何より一生懸命に何かをする仲間に恵まれ、 ただ時間を浪費して遊ぶのでなく、 目的意識を持ってで時間を使うことのできる子供になりました。 スキーも今シーズン何回通ったことか・・・ おかげで私は何回もチェーンを着けることになり・・・ 夫不在のことのほうが多かったので、なんと 「特技、チェーン着け」と言えるほど、素早くチェーンが巻けるようになりました。 一本5分もあれば完璧に巻けます!!! これってすごい特技かも(笑) 何はともあれ、一番忙しい週末が終わり、ちょっとホッとしています。 ![]() ![]() ↑これで1万円の神戸ビーフです。マグロみたいだった!! ![]()
「初午祭」がありました。
集落のお稲荷さんです。 今年は私たちの属する4隣保(りんぽ)がお宮当番。 ですから夫は土曜の朝から、旗立て、準備、夜はお籠り、 翌日は朝から宮参りに来る人のおもてなし、そして午後には片付け・・・ と、集落への最後のご奉公に出ておりました。 この集落の方には本当に仲良くしていただき、ありがたかったです。 しかし、その陰には夫の肉体労働の出血があったことは言うまでもないことです。 誰よりもよく働き、動き、手を抜くことのない夫。 すべての日役(ひやく)にはでき得る限り参加し、決して怠けず、 どんな力仕事、重労働も、人並み以上に動く夫。 不器用だけれど、一生懸命に動き、働くその姿は、 誰の目にも真面目な男に映ったと思います。 皆さんが私たち家族とと親しく、 そして隔たりなく受け入れてくださったその陰には 夫のこういう努力がありました。 夫にも感謝!! ![]() ![]() ![]()
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by picchi1124 カテゴリ
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